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まんまる・まりあ誕生秘話

小池陽子

 

まんまる・まりあ設立メンバー3人が、どのように運命の出会いを遂げたのか。そして、どんな経緯で名前が誕生したのかを小池目線から、お話をしてみたい。

 

私は、2020年2月に、がんの手術を間近にひかえ、30年勤務した区役所を退職した。この病巣は、奇跡的な経緯を経て偶然発見されており、「このまま死んでいてもおかしくなかった。」と医師から告げられていた。「なぜ私は生かされたのだろう。生きる意味って何だろう?」そんなことを考えるようになった。感染症の流行で世の中には不安が渦巻いていた。明日は大切な人ばかりか、自分の命さえもどうなるかわからない。そんな時代背景も、目に見えない世界を学び始める後押しとなっていた。人間には、自然治癒力という大いなる力が宿っている。どうやら西洋医学一辺倒では、その力を発揮することは困難なようだった。ある日、催眠療法という、潜在意識に働きかける手法を知ることとなった。私は目に見えない力に導かれるように、催眠療法を教えてくれる学校の門を叩いていたのだった。

 

その学校で、セミナーのアシスタントをされていたのが、しずくさんだった。彼女は、現役看護師でもあり、ホリスティックナースとして日々活躍されていた。2022年秋のこと。私に再び病巣が発見されていた。この病は私にどんなメッセージを伝えてくれているのか、きちんと向き合いたいと思った。そこで、しずくさんに、医療的な相談だけでなく、催眠療法の本格的セッションを受けさせてもらう運びとなった。誠実、努力家、チャレンジャーで、愛あふれる人柄に信頼を寄せるようになるまでに時間はかからなかった。いつしか、心の内を縦横無尽に語り合える仲になっていた。しずくさんは「世界平和」を目指しているのだと、輝く瞳で語ってくださった。私も、世界中に幸せな人が増えていくお手伝いができたらいいなあと、いつしか願うようになった。しずくさんから発せられる光に照らされて、私の奥深くで凍りついていた冬の領域に、春が訪れたかのようだった。

 

不思議なのだが、同時期に、催眠療法セミナー受講生として、恵子さんとも出会っていた。セッション練習を通して、私は自分の病気のこと。今後2回の手術を予定していることを語った。恵子さんは、いくつかの自然療法の専門家でもあった。私は、恵子さんから学ばせていただいた手法を取り入れ、2回の手術を信じられないほど快適に、かつ笑顔で乗り切ることができた。あまりにも術後の回復が早すぎて、病室で踊っている姿を担当医師に見られ、唖然とされたものだ。「もう退院していいよ。」と医師から笑われつつ、最短日数で帰宅できたのである。しずくさん、恵子さんの後方支援のおかげで、私の自然治癒力が大幅に向上していたことの証だと思う。

一方、恵子さんも、しずくさんと運命的に引き寄せられていた。このあたりの驚くべき経緯は、次回、恵子さんの筆に委ねたいと思う。

 

意気投合した3人は、川崎駅周辺で月一回ランチをともにするようになった。ともに美味しいもの好きであり、大のビール好き。おしゃべりの話題は、時に宇宙にまで及び、無限大に広がった。3人で気ままにおしゃべりをしていて、毎回感じていたのは、「もしかしたら、天命が一緒かもしれない。」ということだった。それぞれに携わっている仕事は違えど、魂が目指す方向(志)が同じであると感じるほど、各々の胸の内にある、熱い想いを共有し合っては、時に感動して涙することもあった。これほど、内に秘めた想いをさらけ出して語れる相手に、今まで出会ったことが無かった。3人の想いは、多くを語らずとも、互いに共感しあうことができていた。ともに学び合い、高め合っていける、素晴らしい関係性に感謝しかなかった。

 

「何をしたらいいかわからないけど、3人で何かしたいね!」ある日、しずくさんが提案してくれた。この3人の個性と能力をかけ合わせれば、とても面白いことができそうだった。三人三様の凹凸が見事にはまって、調和したときに、そのエネルギーは、まんまるな円を描きそうだなと感じた。

 

早速、2023年9月に開催のしずくさんの講演会にスタッフとしてお手伝いさせていただくこととなった。話し合いの過程で、NPO団体のこと、市民活動センターの存在を知る流れとなり、3人で何かしたいという想いが、団体設立という具体的な行動に結びついていった。

 

10月13日。市民活動センターに、団体設立に向けての相談に出向いた。直後のミーティングで、団体名をつけるために、恵子さんから面白い提案がなされた。潜在意識につながるワークをしつつ、内奥から答えを引き出してくるというものだった。私たちは直観を通し、様々なキーワードを1枚の紙に順々に書き連ねていった。潜在意識優位になると、脳裏にビジョンも見えてきていた。やわらかなサーモンピンク色のまるい光だった。その優しい色は、母性愛を象徴するようにも感じられた。まるでマリア様のような、すべてを包み込み慈しむ愛の光である。こうして、まるい光とマリア様のような母性愛のイメージから、「まんまる・まりあ」という名前が誕生した。

 

 

このようにして、「まんまる・まりあ」は産声を上げたのだった。